王家のササン家をはじめとする7家が世襲の領地をもち、皇帝に対する加冠、軍隊の総指揮、徴税の最高責任など世襲の特権を分担した。貴族には大地主貴族、騎士を含む小地主貴族がいて、政治上、経済上の特権を独占し、ゾロアスター教の祭司階級も広大な領地と権限を獲得した。地方行政はパルティア式臣従王制を廃してアケメネス朝式属州制に改め、重要州の長には王族、その他の州の長には大小貴族を任命した。皇帝はアケメネス朝の後継者であると強調し、重装騎兵を主とする軍隊と進歩した兵器、戦術を用い、行政機構、軍事組織、宗教政策においてパルティアより強力な中央集権体制をとった。しかし初期の基本方針はパルティア体制の踏襲であり、その後も世襲の特権をもつ貴族や祭司を中心とする地方分権体制が根強く存続していた。

 言語はアラム語のほかギリシア語も使われたが、王族から庶民に至るまで多くのペルシア人は、現代ペルシア語につながるパフラビー語を用いた。貨幣は銀貨を主とし、ほかに金貨、銅貨を鋳造し、皇帝の肖像の周りに刻んだ皇帝名は、パルティアのようにギリシア文字を用いず、パフラビー文字で記した。

 経済では、皇帝が多数の都市を建設してシリアの技術者を移住させたので、中継交易や手工芸品生産が発達した。とくに海上交易では、ペルシア人がインド東海岸に達したばかりでなく、セイロン島を根拠地としてはるか東シナ海に往復する一方、イエメンを基地としてビザンティン帝国の紅海交易に対抗し、世界史上に独自の役割を演じた。ササン朝銀貨は、イラン本土はもとより、東はインダス川流域、中央アジア、中国、西はメソポタミア、地中海に至る国際的通貨となり、ビザンティン金貨と並んで東西交易の基本貨幣をなし、現在もこれら各地から出土している。

 宗教ではゾロアスター教が国教とされ、現在のアベスタ経典が成立し、火の崇拝とアフラ・マズダーの礼拝が力説された。ゾロアスター教神学の主要理念は一神論的傾向を示したが、哲学上は、やはり光明と暗黒が闘争する二元論的理念が基礎をなしていた。ゾロアスター教が国教とされたのは、東西の政治、宗教勢力に対抗するため、宗教統一によってイラン世界の政治統一を意図したからであり、イランの伝統が復活したことを示している。しかしこの時代にも、キリスト教や仏教の影響を受けたマニ教のほか、その支流と思われるマズダク教、ユダヤ教、ネストリウス派キリスト教、仏教などが信仰された。