経済では、皇帝が多数の都市を建設してシリアの技術者を移住させたので、中継交易や手工芸品生産が発達した。とくに海上交易では、ペルシア人がインド東海岸に達したばかりでなく、セイロン島を根拠地としてはるか東シナ海に往復する一方、イエメンを基地としてビザンティン帝国の紅海交易に対抗し、世界史上に独自の役割を演じた。ササン朝銀貨は、イラン本土はもとより、東はインダス川流域、中央アジア、中国、西はメソポタミア、地中海に至る国際的通貨となり、ビザンティン金貨と並んで東西交易の基本貨幣をなし、現在もこれら各地から出土している。
宗教ではゾロアスター教が国教とされ、現在のアベスタ経典が成立し、火の崇拝とアフラ・マズダーの礼拝が力説された。ゾロアスター教神学の主要理念は一神論的傾向を示したが、哲学上は、やはり光明と暗黒が闘争する二元論的理念が基礎をなしていた。ゾロアスター教が国教とされたのは、東西の政治、宗教勢力に対抗するため、宗教統一によってイラン世界の政治統一を意図したからであり、イランの伝統が復活したことを示している。しかしこの時代にも、キリスト教や仏教の影響を受けたマニ教のほか、その支流と思われるマズダク教、ユダヤ教、ネストリウス派キリスト教、仏教などが信仰された。