王家のササン家をはじめとする7家が世襲の領地をもち、皇帝に対する加冠、軍隊の総指揮、徴税の最高責任など世襲の特権を分担した。貴族には大地主貴族、騎士を含む小地主貴族がいて、政治上、経済上の特権を独占し、ゾロアスター教の祭司階級も広大な領地と権限を獲得した。地方行政はパルティア式臣従王制を廃してアケメネス朝式属州制に改め、重要州の長には王族、その他の州の長には大小貴族を任命した。皇帝はアケメネス朝の後継者であると強調し、重装騎兵を主とする軍隊と進歩した兵器、戦術を用い、行政機構、軍事組織、宗教政策においてパルティアより強力な中央集権体制をとった。しかし初期の基本方針はパルティア体制の踏襲であり、その後も世襲の特権をもつ貴族や祭司を中心とする地方分権体制が根強く存続していた。
言語はアラム語のほかギリシア語も使われたが、王族から庶民に至るまで多くのペルシア人は、現代ペルシア語につながるパフラビー語を用いた。貨幣は銀貨を主とし、ほかに金貨、銅貨を鋳造し、皇帝の肖像の周りに刻んだ皇帝名は、パルティアのようにギリシア文字を用いず、パフラビー文字で記した。